黄昏色の雫
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「我が君はいったいどうなさったのだ!」
 苛立ちを隠さない声が広間に響いた。窓の外から覗いていた風の精霊達が首を竦ませて去っていく。
「大声を出さなくても聞こえている」
 溜息交じりに応えたのは背中に大きな皮膜の羽を持つ黒豹だった。
「ルドラ!貴様は心配ではないのか!」
 ルドラと呼ばれた黒豹のどこかのんびりとした声に、床につくほどの淡い水色の髪をした青年が綺麗な眉を吊り上げて怒鳴りつけた。
「心配?あのお方の何を心配するのだ?」
 ルドラは呆れたように続けた。
「この穹窿(きゅうりゅう)の宮の主であり、孤高の守護龍であるアモーガ・パーシャ様の心配か?要らぬ世話だ」
「しかし...」
 まだ言い募る青年に、ルドラはシッポを振って黙らせる。
「元はと言えば、お前があの方を叱ったりするからこうなったのだ。暫く大人しく留守番をしていろ」
「私のせいだというのか!」
 怒りに頬を上気させ、青年は更に声を大きくした。
「違うか?」
 しかし、間髪おかずに返された言葉に、青年は悔しそうに下唇を噛んだ。
 そんな様子を見て、ルドラが伸びをするように羽を広げた。大きな蝙蝠のような羽には節の部分に鋭い爪があり、広げた姿は見るものに恐怖を思い起こさせる。
「ヴァルナよ、そう気にするな。お前の意見は正しかったよ。正しいと思ったから、あの方は自ら出掛けられたのだろう」
「しかし...。一言ぐらいあってもいいではないか...。何も言わずに行ってしまわれるなど..」
「言ってどうする?宝珠の場所はあの方にしかわからない。我等に話したところでなんの手助けもできないのだぞ。」
「それはわかっているが..」
 最初の勢いは何処へ行ってしまったのか、俯くようにして眉を垂れるヴァルナにルドラは心の中で小さく笑った。
 穹窿の宮に仕える者は、皆アモーガ・パーシャに拾われた者ばかりだ。
 ルドラももちろんそうだが、宮を取り仕切るヴァルナの主への思い入れは随一だろう。
 唯一無二の主が自分に何も言わずに姿を消してしまったのだから、ヴァルナの落ち込み方も暴れ方も酷いものだった。
 水の精霊である彼の苛立ちは、宮のあちらこちらで暴れる水となって現れ、そこら中が水浸しになってしまった。
 そして、こんな風に我を忘れてしまう彼だからこそ、主は黙って出掛けていったのだと、ルドラにはわかっていた。
「宝珠を探しに行くと言えば、お前が怒り過ぎたと落ち込むだろうと思って黙っていかれたのだ。言い過ぎたと思うなら、あの方が戻られた時にお前の得意な竪琴でも引いて差し上げることだ。それまでちゃんと留守を守っていろ」
 そう言い残し、ルドラは優雅に尻尾を振りながら去っていく。
 外に出たルドラは、大きな羽を羽ばたかせ宮の見回りの為に飛び立った。
 獣の姿しか持たないが、ルドラは本来半人半獣の獣神族だ。
 アモーガ・パーシャの城の警護は、ルドラの役目であり好戦的な彼にはぴったりの役割だった。
 数日前、主であるアモーガ・パーシャの宝珠が無くなっている事がわかった。
 元々一箇所に留まらない性質の宝玉なのだが、城の中から完全に消えたとなるといつもの事では済まされない。
 宮の全てを取り仕切るヴァルナは己の力と集められる全ての小精霊を使い隅々まで捜索させたが、結局発見できなかった。

   ――― 無くなった所で問題はなかろう。放っておけ

 平然とそう言い切った主に、ヴァルナは髪を逆立てて叱り付けた。

   ――― あなたはご自分の事に対して無関心過ぎます!宝珠はあなたの半身ではないですか!

 ヴァルナの怒りはもっともで、ルドラも頷きはしても反論はしなかった。そして、主自身も何も言わずに黙って聞いていた。
 しかし、アモーガ・パーシャはその翌日に姿を消してしまった。
 天空に浮かぶ球状の空間<穹窿の宮>
 その中には幾つもの島が浮かび、もっとも大きなものの中心にアモーガ・パーシャの居城があった。
 ドラゴンの眷属から遠く離れて一人ここに住まう守護龍に仕える者は全て多種族であり、ドラゴン族は一人もいない。
 そして己の事にあまりに無欲無関心なアモーガ・パーシャの城には本当に僅かな腹心しかいないのだ。
 宮を一周し、城の見張り場へと舞い降りたルドラは石畳の上に寝そべり真っ青な空を見詰めた。
 ここは城を守るための要であり、ルドラのお気に入りの場所だ。
 心地よい風に目を細め、今ここにいない主を思った。
 感情の波をまったく見せないが、この世界の誰よりも優しい主。そして、誰よりも恐ろしい存在。
(あの方に限って危険はないだろう。しかし...問題児だからな、何か仕出かすかも知れん)
 獣の身体を持つルドラの感覚は鋭敏だ。しかし、いくら集中してもアモーガ・パーシャの気配を捉えることが出来なかった。
 それは、彼がこの空間に存在しないことを示していた。おそらく宝珠を捜して他次元へ渡ってしまったのだろう。
 そんな事ができるのは、神属を含めても一握りのものだけだ。
 まるで散歩に出掛けるように簡単に次元を超えてしまう主を思い、ルドラは呆れたように笑った。
(知らない世界で大人しく宝珠だけを捜してくれればいいのだが)
 守護龍の不在となると、色々と面倒事が増える。当分の間、宮の警備を厳重にしなければと思いながら、日当たりのよい見張り場でルドラは昼寝を始めたのだった。




 人の心配を他所に、当のアモーガ・パーシャは飛鳥と2人で買い物に来ていた。
 飛鳥の護衛をする事を約束させられたアモーガ・パーシャは、翌朝飛鳥に引き摺られるようにして百貨店へとやってきた。
 昨夜、風呂上りに同じ格好で現れたアモーガ・パーシャに飛鳥は着替えを用意しようとしたのだが、190cmを超える長身に日本人の規格に合わない広い肩幅と分厚い胸。残念ながら一条家の押入れの全てをひっくり返しても、彼に合うサイズの服は見つからない。
 しかし、中国の京劇を思わせるような裾の長い服装は今の日本では目立ち過ぎる。
 結局報酬の一部と言う事で、飛鳥が揃える事となったのだ。もちろん、親名義のクレジットカードのお陰だ。
「どう?着れた??」
 大きいサイズの売り場の試着室の前で、飛鳥はカーテンの向こうに話しかけた。
 結局サイズの関係上、あまり選択肢はなかったのだがそれでもゼロではなかった。
 幾つかの候補の中から飛鳥が選び、黙り込むアモーガ・パーシャに何点か持たせるとを試着室に押し込んだ。
「....よくわからない」
 平坦な声。しかし、何処か自信無げに聞こえるそれに飛鳥はそっとカーテンの隙間から首だけを中に入れる。
「....いいじゃん、すっげぇカッコイイよ」
 目を見開いた飛鳥は、どうにかそれだけを呟く。
 狭い試着室で窮屈そうに鏡の前に立つアモーガ・パーシャは、今はジーンズに黒のTシャツを着ている。
 逞しすぎる体格のせいで、胸元や肩の辺りは下の筋肉が窺える。それが逆にアクセントとなって、逞しい風貌を強調していた。
 最初に会った時から素晴らしく整った容貌だと思っていたが、こうしてなじみのある格好をするとその美しい容姿がよくわかる。
(確かに、人じゃないだけあって、人間離れしてる)
「着心地はどう?」
 見蕩れてしまった事を隠す為に訊ねた飛鳥に、アモーガ・パーシャは首を傾げた。
「初めて着る物だから、よくわからない。窮屈に感じるが、こんなものなのだろうか?」
 飛鳥はウエストのあたりや、Tシャツの首周りなどの具合を指で確かめる。
「うん、こんなもんだよ。あんまり苦しいならもう少し大きいサイズに変えても良いけど、どうする?」
「飛鳥がそういうなら、これでいい」
 自分よりも遥かに体格のいい男が、自信無さそうにそう呟く様子を見て飛鳥はクスクスと笑う。
「じゃ、これとこれも試してみて。その後は靴な。そろそろ腹も減ってきたし、着替えたらさっさと自分で出て来いよ」
 面白がるような飛鳥の言葉にアモーガ・パーシャは眉を顰め何か言おうと口を開く。しかし、言葉を待たずに飛鳥はさっさとカーテンを閉めてしまった。
 今頃金の瞳を僅かに眇めて、不機嫌そうな視線を自分に向けているのだろうと思うと、飛鳥は楽しくて仕方がない。
 最初は感情がないのかとも思っていたアモーガ・パーシャだったが、慣れてしまうと静かな仕草はとても好ましかった。それに、本当に僅かな変化しか見せないアモーガ・パーシャの表情は、実はとても変化に富んでいるのだ。
 着替えを済ませたアモーガ・パーシャが出てくるのを待ちながら、飛鳥は近くの店員に靴もいくつか頼むことにした。




「如何でしょうか、お客様。どこか痛い所はありませんか?」
 靴を試し履きするアモーガ・パーシャに、店員がビジネススマイルとは思えない程の笑顔を向ける。
 しかし、アモーガ・パーシャはいつもの無表情で店員を無視して飛鳥に話しかけた。
「なんと言ったのだ」
「へ?」
 飛鳥はアモーガ・パーシャの言っている意味がわからずに間抜けな顔で訊ねてしまった。
「この女性は、何を言っているのかと聞いている」
「あ、あぁ、えっと、靴、痛くないかって...」
 アモーガ・パーシャは納得した顔で頷くと、飛鳥を見る。
「大丈夫だ。何処も痛くない。それに、これはとても歩きやすい物だな。」
 飛鳥にだけわかる嬉しそうな顔でそう言ったアモーガ・パーシャの言葉に、店員が躊躇いながら飛鳥に話しかける。
「あの、申し訳ありません。なんと仰ってるのでしょうか?サイズは如何ですか?」
 店員の態度に飛鳥は益々混乱する。声が聞き取れないような距離ではない。それに、アモーガ・パーシャの声は低いがとてもよく通るし、嬉しそうにイキイキと接客をしていたこの店員が思わず聞き逃すなんてことも無さそうだ。
「コイツの言ってること、わからない?」
 飛鳥の質問に、店員は恥ずかしそうに頷いた。
「申し訳ありません。英語なら少しは大丈夫なのですが、正直どちらの言葉なのかもわかりません。」
 飛鳥は更に困惑する。
 アモーガ・パーシャの言葉は何処をどう聞いても日本語だ。自分も日本語以外は話していない。
(俺、英語も少しどころか全然駄目だし...。これって、どういう事だ?)
 黙りこんでしまった飛鳥を、アモーガ・パーシャは心配そうに見詰めている。
 それに少しだけ笑ってやると、飛鳥は店員に向き直った。
「あの靴気に入ったんだって。靴はあれにするから、全部纏めてカード払いでお願いします」
 そう言うと、飛鳥はすっかり装いを変えたアモーガ・パーシャを振り返った。
「なんか、余計目立つようになった...かもな」
 飛鳥の苦笑いの意味は、アモーガ・パーシャにはわからなかった。



                              − to be continued −


2005.7.9



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